2023.7/19
夏の古器:春海バカラ
大塚美術ウェブストアでは、7月25日より「夏の古器:春海バカラ」特集を開催します。
夏の懐石具として定番の春海バカラ。
茶道具として生まれましたが、現在ではその楽しまれ方は茶湯のなかにとどまりません。
骨董数奇者の間では、ビールや日本酒を楽しむ酒器として、ハレとケ双方の食事を楽しむ器として、日常に取り入れられ、清涼感を感じさせる骨董として欠かせない存在となっています。
その誕生の背景には、生涯を通して美を探求した古美術商の先駆的な眼と情熱がありました。
春海バカラは、大阪の古美術商、春海商店の三代目だった春海藤次郎によって注文されたことがその始まり。
1840年生まれの藤次郎は、幼少の頃から風雅を好み、美術品の鑑識眼にも非凡なところがあったそうです。
三代目として春海商店を継いだ明治半ばは、明治維新の動乱も治まり、近代数奇者と呼ばれる人々が活躍した時代。
藤次郎もまた、道具商として、そして茶人として、あの野村得庵や根津青山などとの交流も深めたといいます。
茶湯への熱の入れようは人一倍で、1日として懸釜を欠かしたことはなく、来客があれば手製の料理と共にお茶を振る舞う料理通だったとか。
ある日、親戚からの欧州土産でバカラの花入を手に入れた藤次郎。
その見たこともない輝きに心奪われ、床の間に飾ってその美しさを愛でました。
当初製造元が定かでなかったようですが、藤次郎はその花入がバカラ社製のものであることを突き止め、その製品を輸入、更には茶事で用いることができないかと思い立ちます。
欧州まで手紙を送るにも数ヶ月を要した時代です。
フランスまで発注の依頼をすることも容易ではありません。
しかし藤次郎の情熱はその壁を越え、バカラ社製品の中から茶人好みの品を選んでの輸入販売を始めることに成功します。
▶︎春海商会からバカラ社へ送られた注文書
当時はまだ茶事の道具は陶磁器であることが定石でした。
ガラス器、それも“家が一軒建つ”と言われたほど高価な欧州製のクリスタルを用いるという藤次郎の斬新すぎる発想は、驚きを持って迎えられたようです。
しかしさすがは文明開花の時代、明治の人々。
既存の価値観とは異なる新たなものも好意的に受け入れ、藤次郎のガラス器を用いた茶事は徐々に支持を集めていったのだとか。
バカラ社製品の輸入販売に手応えを感じた藤次郎は、次なるステップとして自らが考案した器の製造をバカラ社に依頼することを思い立ちます。
当時バカラ社には、世界中の王侯貴族から特別注文が舞い込んでいたようですが、それらは全て注文者自身のための特注品。
商材としてオリジナル製品の注文を受けるというのは、バカラ社にとっても前例のないことだったと言います。
藤次郎は、日本人の美的感覚に裏打ちされたデザイン、茶事に適う寸法や重さと細部に至るまで検討しバカラ社に発注。
とりわけ、重くなりがちなガラス器を、実際に手に取る器として程よい重みにすることにはこだわり抜いたそうです。
▶︎飯碗 1906年
バカラの花入との衝撃的な出会いを果たしてから、言語や距離、時間、人々の固定観念や茶湯の常識など、幾多の壁を乗り越え、後世に「春海バカラ」と呼ばれ珍重されることになる、“日本で初めての注文ガラス”が誕生したのでした。
▶︎春海商会のギヤマン切子器物引札(大正時代)
西洋の長いガラスの伝統で培われた高品質なバカラのグラスは、当時の国産品や並の輸入ガラスとは一線を画すものでした。
そこに日本的な意匠が加わっているのが、春海バカラの魅力です。
西洋的なデコラティブなデザインではなく、藤次郎が考案したのは、日本の料理や茶の室礼に適う粋な意匠。
たとえば霰状の切子硝子。
江戸切子の伝統的な意匠だった霰切子をバカラクリスタルに取り入れています。そのカットの鋭さは触ると痛いと感じるほど。ですが、触れた時の痛みによって清涼感を味わうため、あえてこれほどまでにシャープに仕上げたのだそう。
代表的なのは水差しや菓子鉢として作られた枡鉢です。中国万暦年製の鉢から型をとり、その側面に霰切子を施したデザインは、春海バカラのトレードマークにもなっています。
またエッチング技法による細やかな文様も春海バカラ独特のもの。湿度も気温も高い日本の夏を爽やかに感じさせるようなものばかりです。
まるで着物の小紋を思わせるようなさりげなさは、粋そのもの。
中でも高い人気のある千筋文は、器に無数の輪線を施したデザイン。
元は漆椀の千筋文から着想したものだったそう。細やかな輪線を等間隔に引く技術はとても高度で、バカラ社はこのために独自の技術を開発したのだとか。
切子やエッチングのほか、日常にも取り入れやすいよりシンプルなガラス器も作られました。
いずれの作品にも金の焼き付けが施され、洗練された品格ある華やかさを称えています。
春海バカラの誕生から100年余り。
ものによっては紀元を優にさかのぼる「骨董」の世界では、まだまだ若者といえるでしょう。
ですが、その洗練されたデザインと芸術性は、唯一無二の存在。
その誕生の背景にあるストーリーや、「日本で初めての注文ガラス」という意義をとってみても、歴史的な重要性は計り知れません。
時を超えて共感させる美が骨董の条件であるとするならば、藤次郎が多くの苦難を経てひとつのガラス器が日本に届けられたその瞬間は、骨董が生まれた瞬間でした。
いまや骨董の中のひとつのジャンルとして確立された春海バカラは、これからも大切に受け継がれ、生き続けるのではないでしょうか。