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2024.9/5

コプト裂 天使像

大塚美術ウェブストアに本日より掲載するコプト裂。
このブログではそのうちの1点、天使文のコプト裂をより掘り下げてご紹介します。

▶︎ウェブストア〈コプト裂天使像〉はこちら


コプト裂 天使像
エジプト周辺(ビザンツ文化圏)/ 6-8世紀
H14.0×W10.2cm


 






素材、元のかたち


この裂は、サイズや形を考えるに、欧米圏で”clavus”と呼ばれる、チュニックの肩の装飾部分と考えられます。
チュニックについてはV&Aの説明が詳細なので、興味のある方はこちらのURLをご覧ください。
▶ https://collections.vam.ac.uk/item/O119593/tunic-unknown/

その手触りから、麻・羊毛を素材とし、綴織という技法が用いられていたことがわかります。







制作年代について


付属する三越の証書では、4-5世紀とされています。



ですが、メトロポリタン美術館に所蔵されている類品の制作年代から、本作は6-8世紀の作と考えるのが妥当でしょう。類品については、ブログ後半で詳しくご紹介します。

この時代は、中期コプトと呼ばれ、文様および技術面においてコプト織最盛期と言われています。そもそもコプトの時代区分は、多少揺れがあるものの、およそ2,3世紀から4世紀までを前期、5世紀から8世紀を中期、8-12世紀を後期とされています。

中期は、エジプトが東ローマ帝国の支配下にあった時代。当然キリスト教など宗教や文化的影響も大きかったことでしょう。

時代によって文様や色彩が大きく変化するところもコプト裂の興味深いポイントのひとつ。前期は薄茶地に黒で文様を織ったものが多いのですが、中期になると、派手やかな色彩が入ったものが多く織られます。

中期にさまざまな色彩が用いられるのは、ビザンティンのモザイク画の影響があるとも言われています。また文様においては、写実から離れ、様式化が進み、カリカチュア風な人物や動植物が多く描かれるようになります。

このような反自然主義ともいえる造形の背景には、単性説を支持し、霊的なものを重視する、古代エジプトの人々の少し浮世離れした霊的センスにヒントがありそうですが、これ以上は長くなりますので、ここまでにしておきます。



 






文様を読み解く




鮮やかな朱地を背景に、左右は連続する幾何学文囲まれています。
一つずつ読み解いてみましょう。

三越の証書では、「戦士」とされています。
確かに、盾と槍らしきものを持っており、戦士にも見えます。
しかし一方で、顔周囲の光輪と翼らしき表現から、天使にも見えます。
一体どちらなのでしょうか。

調査を行った結果、描かれているのは大天使ミカエルであると私たちは判断しました。

大天使ミカエルは、聖書に登場する勝利を象徴する天使です。甲冑をまとい、槍と盾をもって表現されることが多く、まさに今回の裂の特徴と一致します。

この裂は、天使ミカエルの文様によって、戦いへの勝利、即ち、死に打ち勝つという意味や、魔除けを表していたのではないでしょうか。



天使の右側には花、左には何か文字らしきものが表されています。
コプト語、アラビア語、ギリシア語等を調べたのですが該当する文字が見つからず・・・お分かりになる方はぜひ教えてください。

 






類品の紹介


同一の文様の裂が海外の美術館3館に所蔵されていることがわかりました。


▶︎左 メトロポリタン美術館所蔵裂    右 ウォルター美術館所蔵裂


①メトロポリタン美術館
かの有名なニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されています。
ここでは、6-8世紀、ビザンティン文化圏の作と記載されています。
▶ https://www.metmuseum.org/art/collection/search/474229

②ウォルター美術館
アメリカのWalters Art Museumにも類品が所蔵されています。
こちらでは、7世紀のコプト裂と記載されています。
▶ https://art.thewalters.org/detail/25767/textile-strip-with-three-groups-on-a-red-ground/

上記2館のほか、ギリシア、アテネのカネロプロス博物館にも所蔵があるという記事を見つけました。
こちらは、今回の裂と同一箇所ではありませんが、裂の上もしくは下部分です。
ここでは、7-8世紀のコプト裂と解釈しています。
▶ https://www.lifo.gr/culture/arxaiologia/moyseio-kanellopoyloy-enas-exairetikos-logos-gia-na-anebeite-stin-plaka








「コプト」とは?


そもそも「コプト裂」とは一体どのような言葉を指しているかご存知でしょうか。

「コプト」という名称は、「エジプト人」を意味するギリシア語「Aigyptios」をアラビア人が「Qibt」と訛り、その名称が17-18世紀以降ヨーロッパ化されたもの。現代において「コプト裂」と言うと、エジプトのコプト教徒が作った裂という意味合いで使われることが多いのではないでしょうか。

辞典ではこのように定義されています。

"コプト裂(ぎれ)ともいい、エジプトのサッカラ、アクーミム、アンティーノエなどにある墳墓から出土する染織品をさす。"(日本大百科全書)

"三世紀から八世紀にかけて、エジプトに住むコプト人が創始、発達させた織物。"(精選版 日本国語大辞典)


このように、定義に少し揺れがあります。

エジプトの織物の歴史は古く、紀元前16-14世紀まで遡ります。ただし、この時代の織物は外国からの渡来品という説が有力だそうです。その後、紀元2世紀末に作られた裂が最古のコプト裂とされています。

ある研究者は、「コプト裂」と便宜的に呼んでいるものすべてがコプト教徒によって制作されていたわけではないと述べています。

今日残っている裂を誰が注文し、織り、使用したかは明確ではありません。もちろん、エジプトに限定せず、周辺のビザンツ文化圏のどこかの織物職人によってつくられている可能性もあります。
そのような意味で、メトロポリタン美術館もコプト裂とは明記せず、ビザンツ文化圏で作られたものとしているのでしょう。

とはいえ、同時代に同じ文化圏に作られたもの。先達の文献や研究で「コプト裂」と呼ばれているものの文様や時代的特徴も十分に当てはまるでしょう。








コプト裂の魅力


コプト裂の魅力はなんといってもこの図柄の素朴なフォルムにあるのではないでしょうか。
残存するコプト裂は、典礼用の服は数少なく、ほとんどが世俗の人々が使用していた衣服やテーブルクロス、カーテンなどです。
争いの多かった時代ですが、それを感じさせない当時の人々の自由でのびのびとした美意識は現代を生きるわれわれの心にも響きます。

抜きん出た作行きの良さに心惹かれ、交換会で仕入れた小さなコプト裂。
調べれば調べるほど興味深く、思わぬ歴史探訪の機会となりました。


<参考文献>

「エジプト古代染織展 コプト織の世界」1979年、鐘紡
東京都庭園美術館編「コプト美術展 ナイル河畔の文明遺産」1984年、東京都文化振興会
ハーバード大学所属研究機関ダンバートン・オークス / ビザンティンテキスタイルコレクションweb site  https://www.doaks.org/resources/textiles/essays


[文|深谷愛]





埼玉県の遠山記念館で2024年9月~11月にコプト裂の展覧会が開催されます。
興味のある方はぜひお出かけください。

「エジプト古代染織・コプト裂100点 -織り文様は何を表しているのか-」
会期: 2024年9月14日(土)−11月4日(月祝)
▶︎遠山記念館web site










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