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2009.4/1

ルーシー・リーのこと

20数年前の話になるが、年に数回イギリスに買付に行っていた頃の話。

その頃のロンドンは、商品も豊富で、まだ暗いうちから
朝市が市内の所々で開催されていました。
そのマーケットに誰よりも早く出向き、
掘り出し物を見つけようと懐中電灯を片手に物色した時、
黒いコーヒーカップを見つけ、値を聞くと、たしか、50ポンドとの事。
その頃は一ポンド500円位ですから、25000円。
それがルーシー・リーでした。

何か魅力を感じつつも、ルーシー・リーの事は
何も知らない時でしたし、資金も乏しい時代、
買えずに帰国したのです。

その名前も忘れかけた頃に、神田の古本屋街で、
美しい鉢が表紙になったルーシー・リーの本を見つけました。
あの時の感動が蘇り、購入して色々見ていると、
デザイナーの三宅一生氏が私と同じ様な出会いをし
随分早い時期から日本に紹介していました。

最近は方々にインテリア小物やセレクトショプが出来て、
センスの良い小物が豊富にあります。
どの店に入っても、白や黒色の食器で
シンプルな物が沢山ありますが、すべてにと言って良いぐらい、
ルーシー・リーの影響があるように思います。
中にはもう完全にコピーで、鉢などは
わざと歪みを入れた物が並んでいます。
でも、完全な違いは、やはり品格が無く、
うわべだけを写している事だと思います。
安価な量産品ならともかく、工芸作家の方にもこの傾向が強い。
これは悲しい事です。

最近出版されたルーシーの作品集に、
ルーシーの若い頃のスナップ写真が何枚か載っており、
その中にバーナード・リーチが見せたであろう、
李朝中期の白磁の大壺の前にいる写真。
そして、バーナード・リーチと李朝辰砂葡萄文壺と
写っている写真を発見し、
一人「やはりな!」と思い、余計に好きになりました。

その図録の中で、ルーシーがまだ作品を認められず制作に悩んでいた時、
バーナード・リーチから、もっと頑固で丈夫な物を作れと忠告され、
当時の英国のバーナード・リーチを筆頭にした
民芸風の作品の影響が出ているなぁ~と思われる作品が
載っていますが、すぐに自分なりにそれらを消化し、
より一層、ルーシーらしい作品を生み出しました。

制作に入る時は白いスニーカーに白いズボン、白いブラウス、
汚れ一つ無い白いエプロンを着けて、制作した事などを知りました。
これは日本で精神を無にする修行や、無に向かう時に似ています。
「作品はその人なり」と言いますが、若い頃の姿は美しく清楚、
老いてからの姿は、もうカワイイとしか言いようがない。
1995年93歳で亡くなってしまいましたが、
このところは凄まじい程に若者の支持を受けています。

先日もサントリー美術館の分館のデザインサイトで、
ルーシーの展覧会に行って来ましたが若い人がいっぱいでした。
生前日本に一度も訪れた事のない、
ルーシーがこの光景を見たら何と思うでしょう?

ただ個人的な意見ですが、この展覧会は
建築家の安藤忠雄氏とのコラボのような形を取っており、
ルーシーの作品は単なるオブジェのような扱いになっていて、
ルーシーの作品の良さが全く出ていなかったように思います。

(U.TU.WA)と展覧会タイトルを打ちながら、
ルーシーの一番の持ち味の微妙な形態や、
独特の釉色、器肌などが全くわからず、ほとんどの人達が
ビデオに写っている、ルーシーの生前の制作風景を
眺めていました。

全体に静寂で美しい空間を表した事で、
安藤忠雄氏の意図や推進委員の成果は出ており、
この展覧会は成功したのかも知れませんが、
ルーシーの作品をじっくり、近くで見たいと思って来たファンとしては、
少々不満が残りました。
特に同時開催をしている、サントリー美術館での三井寺展が
素晴らしかったので、余計に残念でした。

20数年の時を経て現在はルーシーの作品を何点か持っていますが、
益々愛着の湧く作家です。
上記の展覧会を見て、消化不良になっている人達の為に、
現在、当店にあるルーシーの作品の映像をアップしてみました。


1985年頃制作の接合型花瓶

ピンクのスパイラルと言われて、同様の作品が
英国の1987年の記念切手となっています。 
又この作品はトーニーバークスのLucieRieの作品集のアトリエに
それぞれの年代を特徴づける、
棚に残されていたものと紹介されています。
この作品は李朝の陶工と同じように、上、中部と接合し
異なった胎土を轆轤挽きし、全体像を仕上げています。
危うい様な緩やかな曲線は、轆轤の上で、自然の遠心力に任せています。



くすんだピンクの釉薬はドロマイドを使用しているらしいが、
この釉薬が手に入らない為にピンクの釉薬を使った作品は
非常に数が少ない。
又、ダークブルーの素地とのスパイラルは、より数が少ないらしい。
全体に溶岩様釉薬を掛けていて、
まるで月のクーレターの様な印象です。
この複雑な色調は、生活のために、一時オートクチュールの
ボタン制作をしていた時に、デザイナーの要望を満たす為、
取得した成果です。





この作品はハンスコパーとのジョイントで
1950年代に制作された貴重な作品。
酸化マンガンを塗り、裏には、二人のジョイントシールが押されている。



黒に近い茶色。マンガン釉を筆で塗り、内側は光沢のある白い釉薬を
筆で塗っている為に、釉薬が自然と流れ、微妙な釉調になり、
機械で量産されたような、冷たさや、民芸的なドロ臭さも無い。

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