
2026.2/5
鉄砂雲龍文壺 工芸青花12号
「工芸青花」内のコーナー「精華抄」にて過去にご掲載いただきました品物を改めてご紹介します。
(撮影 菅野康晴)
鉄砂雲龍文壺 李朝時代(17世紀) 高33cm
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李朝陶磁における鉄砂の登場は15世紀だそうだが、17世紀に入りそれまで主流だった粉青沙器が姿を消すと同時に盛んに用いられるようになった。それは中国からの輸入制限により呉須が不足した時期と符合するため、代替品だったとする見方もあるが、鉄砂の文様には青花白磁とは全く異なる独自性があり、呉須の不足という受動的な理由だけではその発展を説明しきれない面がある。
広州官窯で焼かれたものには、画員の見事な絵付けによる名品の数々が残されている。一方で、広州から流れた陶工が生計を保つためにひらいた地方窯でも多く生産されてきた。赤星五郎から安宅英一の手に渡った虎鷺文壺や小林秀雄が骨董にのめり込むきっかけとなった葱坊主の徳利……数寄者たちは鉄砂の素朴で野性的な姿に魅了され、優品を求めてきた。
雲龍文は鉄砂の代表的な文様の一つだが、その描かれ方にはいくつかのパターンがあるようだ。例えばこの壺では、正面向きの龍頭と雲間に隠れた胴体がひとつなぎとなり、唐草文風に抽象化されている。宮中で用いられた青花白磁雲龍文の厳かさに対して、なんと自由なのだろう。表面に触れてみると、絵付け部分の胎土には凹凸があり、そこに溜まった鉄釉とそうでないところに濃淡が生じ、平板な印象を免れている。決まった型から逸脱して、時に我々を驚かせる李朝らしい珍品ではないだろうか。
(大塚美術 / 大塚麻央)
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新潮社 『工芸青花』第12号 精華抄 より