
2026.2/18
元箱根石仏群を訪ねて|箱根に刻まれた中世の祈りと六道地蔵
箱根を訪れるたび、ずっと気になっていた場所がありました。
旧東海道沿いにひっそりと残る、元箱根石仏群です。
いつもは箱根登山バスに揺られながら通り過ぎていましたが、今回は思いきって立ち寄ってみることにしました。
今季最大と予報された寒波が箱根にも訪れていたこの日。
地面にはわずかに雪が残り、空気は澄んでいます。
街道沿いに建つ曽我兄弟の墓を過ぎ、散策路を少し入ると、山の匂いのなかに石造群が静かに現れました。
まず目に入るのは、岩壁のいたるところに彫られた二十五菩薩の磨崖仏です。多くは地蔵菩薩で、古いものは鎌倉時代の造立と考えられています。様式には幅があり、長い年月をかけて少しずつ増えていったことがうかがえます。
この場所が、信仰の場として生き続けてきた時間の厚みを感じました。
二十五菩薩を過ぎると、巨大な宝篋印塔が現れます。
苔をまといながらも、塔身・笠・相輪という構造は明瞭に残り、笠の四隅がわずかに反り上がる姿には、鎌倉時代の石造技術の特色を見ることができます。
「多田満仲の墓」とも呼ばれるこの塔は、武将・源満仲の墓として造立されたものと伝えられています。関東で最初期に造られた宝篋印塔のひとつとされ、のちに広がる関東様式の原型となった、歴史的にも重要な石塔です。
さらに歩みを進めると、右手に「精進池」と呼ばれる池が広がります。水量は少なめでしたが、冬枯れの景色を淡く映していました。
道の反対側へ渡ると、六道地蔵と呼ばれる大きな地蔵菩薩の磨崖仏が姿を現します。西から関東へ向かう旅人と正対するように彫られ、往来する人々を見守っていたといわれています。細面で引き締まった表情には、鎌倉期らしい造形感が感じられました。
宝篋印塔の台座の格狭間(こうざま)には金石文が残されています。そこには、奈良・西大寺の流れをくむ良観房忍性が南都の石工を率いて造立に関わったことや、精進池を「六道の途」——死後に輪廻転生する世界への入口と見立て、この地を選んだことなどが記されています。
かつて芦ノ湖畔一帯は、死んだ子どもが赴く冥界を意味する「賽の河原」とも呼ばれていたそうです。宝篋印塔造立の少し前には、鎌倉・小田原を大地震が襲ったという記録も残ります。険しい山道の往来のなかで、多くの命が失われたのかもしれません。
精進池をこの世とあの世の境界と捉えた中世の人々は、死後に衆生を救う菩薩である地蔵をこの地に数多く造り、祈りを重ねたのでしょう。
石塔と、静かな水をたたえる池。
鎌倉時代の人々と同じ景色を見ているのだと思うと、不思議な感覚に包まれます。
華やかさはありませんが、箱根という境界の地に刻まれた中世の信仰を、確かに今へ伝えている場所でした。観光地のにぎわいから少し離れただけで、これほど密度のある時間が残っていることに、深い印象を受けました。
[文|大塚麻央]