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2012.7/30

李朝初期白磁壺


(ご売約済み)

映像の李朝初期の白磁の壷が古美術の市場に出て来た。形や大きさは申し分ないのだけれど、随分汚れているのが気になる。ウブ味と言うより、汚ない汚れのようだ。競りにかかる前にこの汚れが落ちるかどうか思案した。市場などに時々出る初期の白磁は、大体小さな立ち壷が多く色も少し灰色がかっているので、この汚れが取れるかどうかで随分と価格に差が出てきてしまう。
初期の白磁は二系統あって、高麗白磁の釉胎を受け継ぎ軟質の胎土を用い、薄作りで、器形、分様ともに精緻なもので肌は半光沢で微細な貫入をともなう。もう一方は硬質胎土を用いたもので粗雑な場合が多い。ただ前者は15世紀末以降には跡を絶ってしまうが、後者は象嵌施文のない白磁に形を変えて生き残る。
昔、学んだ本に李朝初期白磁は石のように重くないと駄目だと書かれていて、私自身もそのように覚えている。また硬質官窯の最上級品は、冷めた白色で、まれに高台内に天や上の字を伴なう物もあり、凛とした美しさがありたいへんに稀少だが、市場に出回っている李朝初期白磁の多くは、初期民窯の白磁の小壺類ばかりを散見する。

さて問題の壺だが、見てから数分後に競りにかかってしまう。プロ同志の交換会なので、あまり考える余裕などはない。まずはこの作品を手に入れて、汚れを落とし、時代的な研究してみようと思い、競り落とした。だいたい李朝の初期作品は数が少なく、文献などでも限界がある。まして手に触れられる物は皆無なので店に戻り、あらゆる参考書を見たが、思ったとおり数点しか紹介されていない。しかし汚れの方は以外と簡単に取れて、ご覧のようになり安堵した。



これは高台の映像だが、白の胎土に高麗青磁に見られるような、桂石が付着し、釉調も肌も高麗磁器に類似している。このように見て来ると、この作品は14~15世紀の作品だと確信しました。高麗白磁は、大変貴重で数が少ない物ですが李朝初期のこのような調子の物もあまり見た事がありません。もしこの作品に高麗青磁のような陰刻が入っていたら、すぐにでも高麗白磁と誰もが認めるものだと思います。したがってこの作品は、高麗から李朝時代への過渡期の、李朝初期白磁素文壺と結論づけました。
後で解かったことですが、この作品も長い間、著名なコレクターの収蔵品だったようです。汚れも落ち、年代にも確信が持て、晴れ晴れとした気持ちで床の間に飾り、一人眺めていた時に、年に数回お立寄り頂くお得意様から連絡が入り、お見せしたところ、たいへんお気に召していただき、御買上いただきました。私としてはそのタイミングが絶妙で本当に骨董品は出会いなんだなぁ~と改めて思いました。


この作品が話の中に出たもう一方の高麗象嵌技法をそのまま受け継いだ、硬質白磁の白磁象嵌の作品です。硬質の初期白磁はその後、白磁のみの作品や染付、鉄砂を伴い存続されていきますが、白磁象嵌は15世紀初めに粉青沙器と共に現れ、15世紀末には姿を消してしまいます。この白磁象嵌にも二系統のタイプがあります。この時代磁器所が139箇所、陶器所が185箇所あったと記録にあり、すでに全国的に生産地が分散されていたようです。白磁と言うと広州官窯が有名ですが地方の民窯でも優秀なものが出来ています。

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