Blog

2012.1/27

李朝秋草文水滴



李朝中期 秋草文文様の作品はいったいどの位あるのだろうか?
ほとんどの李朝好きが、生涯、一つは欲しいが、まず手に入らずにいるものだと思います。
美術館や参考書に必ず収蔵・掲載されているので、コレクター歴の浅い方は
「秋草文の物はありますか?」と必ずお聞きになります。

1988年に大阪東洋陶磁美術館で李朝秋草展があり、その時に40点ほど陳列され、
その他の存在は数十点と聞いてはいるが、正確な個数は解からない。
とにかく市場に出る事は稀なのです。

 李朝中期は呉須が大変貴重で使用制限などもあったので、呉須に水を加え薄めて使い
余白をたっぷり取って清楚に描写されているところが、「古今集」で歌われている秋草の風情とが一致し、
いつの頃からか秋草手と呼ばれるようになった。

現在、日本人も秋草文様を特に好むが、当時の李朝の人々も思考や儒教の精神などをそこに反映させているのでしょう。
李朝陶磁器の秋草の文様は、仙人草(クレマチス)、石竹(唐撫子)、よめな(アスタ)、菊、蘭の五種類です。
この一群の中期の秋草手の絵は申師任堂筆(シンサイムダン)の筆だと言う人もいるが、自筆としたら年代が違います。
申師任堂は聖人と言われた人なので、草花文などの優れた画には、伝申師任堂筆とされているものが多い。
いずれにしても、その流れを汲む書画院画家が窯場に出向き絵付けをしたものと思われます。

李朝時代の花の絵には何かしら昆虫や蝶が描かれているのが多いのですが、花には匂いが有り、
昆虫が寄ってこそ本物だと言う慣習が古くからあるからです。
写真の水滴にも蝶や蝶が数匹飛んでいますが、呉須も薄く寂しそうな気配が感じられます。
最近は文字を書く習慣も少なくなったので水滴などは無用の長物となりましたが、李朝時代の両班にとっては、
何をおいても欠かせない愛玩品だった事でしょう。
私も現在はこの水滴を本来の用途に使用する事はありませんが、毎日手のひらの中で愛玩しており、
自然と落ち着くような気がします。

[お約定済]

一覧へ戻る