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2019.1/21

川端実と原田治の師弟関係

川端実は日米の大学で教鞭をとり、また自宅アトリエでも子供に絵画を教え、その教え子に原田治がいました。オサムグッズやドーナツ屋さん、ポテチのキャラクター等で有名ですね。

原田治が川端のアトリエに通い始めたのは7歳。1953年、川端42歳の頃です。この頃、川端は吉原治良や山口長男らと日本アブストラクト・アートクラブを結成し、自身の画風に一つのスタイルが見え始めた頃でした。この5年後に川端は渡米しNYへ。数々の賞を受賞し、ベティパーソンズ画廊でも個展が開かれるようになりました。

そして1963年、日本の東京画廊で新たな変化をとげた川端の個展が開かれます。ここに展示された「WORK」を見て17歳になっていた原田は後に「抽象絵画が理念を超えて、直接感覚を揺さ振るものとしてぼくに迫って来ました」と語っています。この言葉は抽象画を見る上で、とても的を射た言葉だと思います。頭で考えるのではなく、心に感じることだと。

1969年、川端が教鞭をとっていた多摩美術大学を卒業した原田は、当然のようにNYへ渡りました。川端の住まいの裏にアパートを見つけ師弟関係は続きます。ある日、2人が美術館で作品を見ていた時、川端がポツリと呟きました。「画家が死んだ後、その絵が百年、二百年持ちこたえるかどうかだな…」と。

川端実が2001年に没し、原田治は後年こう語っています。「川端実の仕事が古典化のようにうけとられるとしたら美術界そのものが老廃しているのです」

川端実の評価は、まだその仕事に見合ったものに達していないように思えます。

原田治は自分の師の日本国内でのそんな状況を、憂えていたのではないでしょうか。

参考:みすず書房《大人の本棚》「ぼくの美術帳」原田治

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